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質素倹約が美徳でお金儲けは悪?印象だけで学びや実践を放棄してはダメな理由

こんにちは、片渕です。

今回はお金のリテラシーを上げていく重要さの話についてまとめています。

私が社会人のなりたての頃は、恥ずかしながらお金のリテラシーについては知識0でした。

ところが独立して仕事をするようになり、お金については社会人になるまでにしっかりと学んでおかないとダメだなと思うことがたくさんありました。

どのような経緯でそう思うようになったのか?

自分が学んだ備忘録も兼ねて以下にまとめてみました。

お金のことを学ぶってどういうこと?と疑問に思った人こそ、新しい発見があると思いますので、ぜひお読みください。

お金のリテラシーが低いのは家庭環境や教育の影響が大きい

私が子供の頃

●質素に慎ましく生活することが良いこと
●汗水垂らして労働するからお金がもらえる
●お金儲けは人を騙してることがほとんど

という話を親や先生から聞いた記憶があるのですが、もしかしたらアラフォー世代の方は共感できる人が多いかもしれません。

この理由として、家庭環境や教育の影響が大きいですよね。

私の親世代というのは第二次世界大戦後の高度経済成長期を過ごしてきた人たちでもあり、お金にまつわる考え方としては

●節約が美徳

●貯金が最高

●とりあえず保険

という価値観の人たちが多かった印象があります。

もちろん節約や貯金、そして保険というのは大切なことだとは思いますし

●お金を無目的に浪費する
●人を騙したり裏切って金をだまし取る

という話であれば、いつの時代でもNGでしょう。

ところが、盲目的に節約だけして貯金ができればそれでいいというような固定観念のまま大人になってしまうのはちょっと考えもの。

なぜそう言えるのか?

そして、なぜ日本がお金の教育をほとんど行わないのでしょうか?

質素倹約が美徳という風潮がうまれた背景

日本には質素倹約が美徳で、質素に慎ましく生きていくのが良いという風潮って感じたことありませんか?

色々調べていくと、どうやら江戸時代から始まっているようなんですね。

江戸時代の前は、全国の戦国武将たちが力を発揮していた時代でした。

豊臣秀吉→徳川家康と政権がうつり江戸時代になったとき、地方各地の武将たちに権力を持たせず中央集権にさせる目的で

●武家諸法度:学問・武芸や倹約を奨励する法令を施行した
●参勤交代:1年ごとに江戸と地元を行き来させる(交通費や江戸滞在費は自腹)ことで、財政面はもちろん人質的な役割も果たしていた
●年貢を納めさせる:一般市民(江戸時代であれば農民)を米作りに集中させることで貨幣経済から遠ざけようとしていた
ことが行われていました。

これが倹約や節約の文化が根付きはじめた原点と言われています。

さらに時代は、明治→大正→昭和と流れていく中で太平洋戦争に突入し

・欲しがりません勝つまでは

・贅沢は敵だ

などというフレーズもうまれていました。

戦争中に苦労し質素に慎ましく生きてきた世代の影響もあって、節約文化が続いてきた理由の1つと言われています。

貯金しているお金は銀行が預かったまま・・ではない

さらに、戦時中に日本が戦費を調達するために、そして戦後に日本が急速に復興するために、貯金が大きな役割を果たしていたことはご存知でしょうか。

預けられている貯金は、銀行に置かれたまま・・ではないんですよね。

銀行は、そのお金を元手に国債を買うことで国にお金が流れ、それが戦争をするための資金だったり、戦後にインフラなどを復興させる資金として利用されていました。

実際に、私が子供のころは、銀行の定期預金の金利は6%、郵便貯金に至っては10%を超えていた年もあったとか。

昔であれば「貯金する」行為は立派な年利10%程度の投資になっていたわけですが、2019年現在では0.001%

ほぼ0なのはあなたもご存知の通りかと思います。

そのような時代背景があったことも、金融リテラシーを特に学んでこなかった自分のような人は知らないまま。

親や学校からの教育の影響もあって

・節約して貯金すれば安心だよね?お金減らないわけだから・・

・投資とか怖いしダーティなイメージがあるし、そもそもお金減らしたくない・・

という気持ちになり、特に深くも考えずに節約や貯金していればOKでしょ、と短絡的に思っていました。

もちろん、無駄な出費を抑えたり、目的に応じた貯金は必要なのですが、無知だったり学ぼうとしない自分がマズかったな・・、という意味です。

金融リテラシー教育を積極的に行わない方が良い理由がある

アメリカなど海外では、日本の中学生くらいの年齢からお金や経済の仕組みなど金融リテラシーに関する教育がなされています。

ですけど、日本の場合は・・社会科?などで少し扱う程度でしょうか。

おそらく、そういう教育を諸外国と比較して積極的にやろうとしないのは、貯金・節約文化が銀行や国にとって都合良い仕組みになっているので、優先度が低い状態なんじゃないかな・・・と私的には思います。

というのも、みんなが金融リテラシー高く、貯金せずに新興国などに投資しちゃうと、銀行や国がアテにしていた貯金という財源が減りますよね。

銀行は、ほぼ0%の金利でお金を調達できて、カードローンや住宅ローンを利用してもらうことでの金利差から収益をあげていますから。

ところが、あなたもご存知の通り、日本は少子高齢化が進んでいます。

年金なんて当てにならなくなるよねきっと・・、と考えている人たちは増えている。

最近になって、例えばNISA(ニーサ)などが始まりましたよね。

NISAとは、投資で得た収益は約20%税金がかかるのですが、120万までを上限に税金がかからない枠のこと。

タンス預金なども含めた貯金を積極的に投資に回して経済を活性化させるため、という話も聞いたことがるのですが、まあそれも一理あるでしょう。

もはや国では将来にわたって面倒見きれなくなるから、投資を推奨し始めたのかもしれません。

だからといって、単に証券会社や銀行に進められるままに金融商品に投資するのは避けた方が良いですね。

証券会社や銀行もビジネスをやっているわけなので自分でお金の流れや経済の仕組みなどを学んで、リスクとリターンを考えることが大切ではないでしょうか。

例えば、

銀行貯金とは、消費税UPや物価上昇などを加味すると、リターンがマイナスになる金融商品への投資行為である

と言えることをご存知でしたでしょうか?

片渕

貯金していなければ増えることないけど、マイナスにはならないじゃん

と思っていたのですが、そうではない。

会社から給与もらって銀行に置いておくことは、徴収される税金や物価が上がるので、相対的にお金は減っていることと同義なんですよね。

また、外貨預金で為替差益を狙うのであれば、スプレッド(売値と買値の差)が低いFXを利用すべき、とか。

まあ、これはほんの一例ですが、お金に関する話は印象やイメージが先行して、学びや実践を後回しにしがち

少なくとも社会人として労働収入を得る前には全員知っておいた方が良いと、無知だった自分を省みてそう思います。

そもそもお金とは何か?その歴史を振り返る

今でこそんな風に考えていますけれど、自分は社会人生活がだいぶ経過してからお金のことを学ぶの重要性に気がつきました。

ところで、そもそもお金って何者なのでしょうか?

当たり前のように存在していて、私たちの日常はもちろんのこと、人生をも支配しているように見えるお金。

ちょっとその歴史を振り返って見ると、大昔は当然ながら紙幣・貨幣などは存在せず、物々交換をしていた時代があったと言われていますよね。

魚を持っている人と、野菜を持っている人が、お互いが欲しいものを等価に感じたら交換が成立したわけです。

ただ、魚や野菜などは保存性が効かないこともあり、利便性の観点から物々交換から貝殻などを媒介するようになります。

さらに、その媒介するものが、値打ちがあり誰しもが欲しいと感じる金貨などの貨幣に変化し、持ち運びが簡単にするために紙(紙幣)も誕生しますす。

最近ではお金のデジタル化、電子マネーや暗号通貨なども一般的になりましたよね。

中国ではキャッシュレスが当たり前で、小さな露店でも物理的なお金を受け付けないようになってきています。

このようにお金は世の中の流れに合わせて姿・形を変えてはいるものの、価値の交換活動の媒体となっているだけですね。

なので、お金そのものに善悪もありません。

多くの人たちが価値交換の媒体として認めれば、それがお金になり得るということ。

資本主義経済の中では、たくさんの価値提供ができれば対価としてのお金が多くなっていきますし、近い将来はお金=人からの信頼に変化するとまでも言われています。

汗水垂らして努力すれば良い?のは幻想

そうした時に必ずでてくる話が、とことん努力して汗水たらしてがんばる労働が尊いというような内容です。

これだけがんばったからお金をもらえる・・というのは心情的にはわからなくもないのですが、お金の原理からいうと当人がどれだけがんばったかは関係ないですよね。

あくまでも価値を与えるた対価としての、お金をもらえるのが基本ルールなので。

ウチの子供も休みの日は公園に行って、砂場で遊んだり滑り台すべって遊んでいるわけですが、、どれだけ遊んでも誰かの価値になっていなければ発生するお金は0円です。

片渕

給料上がらないんだよね・・

と会社員が飲み屋で嘆くシーンが散見されますが、当人がどれだけ努力するか、寝ずにがんばっているかどうかは、本質的には関係ありません

どれだけ相手(会社組織や社会)への価値提供ができたか次第ですから。

そう考えると、汗水たらして・・どころか楽してグータラな人だったとしても、価値提供ができている人はお金を得ることができます。

わかりやすいのは、仕組みを作れる人

例えば自動販売機は人がその場にいなくても、機械が24時間代替して販売活動?をしている状態とも言えます。

だから、自販機を作ったり管理している人が、労働0でも収入を得ることができる。

楽してお金儲ける、というとあまり良いイメージを持たない人もいるかもしれませんが、ビジネスは基本的には、楽したいニーズを満たすものが購入されます。

掃除めんどくさいなーという人がルンバを購入するように。

ルンバの開発には、きっと汗水たらして努力した人たちがたくさんいたんでしょうけれども、消費者としてそんなことはぶっちゃけどうでもよくて、価格以上の価値を感じる人がお金を払います

AIなどに仕事が奪われる・・という話が言われて久しいですが、自分で価値提供できる仕組みを作れる人は、お金がどんな形に変化しようとも、多くの人に必要とされ、結果的には人生豊かになれることでしょう。

ここでいう豊かとは経済的にという意味だけではなく、たくさんの人たちを笑顔にしたり感謝されたり、ポジティブな感情の循環に貢献しているという意味です。

お金を儲けることは社会貢献そして自分を幸せにする

なので、お金を儲けること自体は、むしろ世の中的にはプラスな活動になるのではないでしょうか。

収入が増えれば、徴収される税金も増えるので、社会貢献という言い方もできるかと。

結局大事なことは、お金を儲けようとする人・使おうとする人のマインドやスキルの話。

質素倹約することが常に良いとは言い切れず、適切にお金を使うことで価値の循環がうまれるわけですから。

もちろんお金儲けが人生の全てではないでしょうけれども。お金があれば問題解決できることは増えますし、良いなと感じるサービスを受けられることのは事実です。

お金に関するマインドブロックを外し、常識を疑いリサーチしてみること。

自分や周りの人たちへの幸せにつなげるためにも、お金に関する学びや実践は、ずっと継続していくことが大切だと思います。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

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