最近は沖縄県の南大東島の大海原を体感したり
鍾乳洞や地底湖など自然が作り出した地形に
感動したり、神社や神域を巡ることが
好きになってきたのですが
昔はあまりそうした所に興味はありませんでした。
ダイビングは10代・20代の頃に
よくやっていたので、海は好きだった
というのはあるのですが、どちらかというと今は
自然と調和したり一体になる感覚がいいな
と思うのですよね。
これはひとえに、形而上の世界への興味関心
私は目に見えない世界などと表現をしていますが
精神的・抽象的な世界が面白いなと
感じているからです。
これまでどちらかといえば形而下
つまり目に見える物質的な世界の中のみで
仕事したり生活をしてきました。
しかし、会社員を退職してから時間的な余裕や
時間のコントロールがしやすくなったことから
読書したり人にあったりすることで少しずつ
物事の考え方が変化してきたように思えます。
きっかけは、やはり占星術を知ったこと。
星読みは占いとして活用されるケースが多く
もちろんそういう活用法もあるし
エンタメ要素も出すことができるのですが
もっと深淵で、人を魅了する人類の叡智の
1つではないか?と、セッションなどを通じて
そのように感じることができました。
タロットカードも同様で、カード占いとしての
活用もできまずが、偶然が紡ぎ出すメッセージや
タロットカードそのものに描かれている
普遍的なストーリーなど、よくこのようなものを
人間は作り出したな・・と驚くばかりです。
また、独立してから現実的な側面として
仕事やお金はどうするか?などあれこれ勉強する中で
税金やお金周りなど、経済や資本主義社会の仕組み
といった大きな枠組みも、以前よりは俯瞰して
見ることができるようになったと思います。
世の中的にも終身雇用や年功序列などは形骸化し
年金なども当てにならなくなる時代が到来して
国としても投資を推奨するような方針に
なってきていますよね。
そうした流れを受けて私も、座学での勉強
だけではなく実際にあれこれやってみて
資本主義社会の光と闇のようなものに
気づくことがたくさんありました。
さらに子育てをしている時期でもあり
自分自身も年齢を重ねて、健康に関する意識も
高まっていたこともあり、こちらも座学での勉強
だけではなく実践してみることで
これまで常識と思っていたことが
破壊と再生されたことはとてもよく覚えています。
いつの間にか身につけてしまった常識は
とても便利なものとは思うのの
頼りすぎてしまっては自分の可能性を縛り
時代の流れに取り残されることも
強く実感しました。
だからこそ常識を自分なりに
アップデートさせることが必要でしたし
人の数だけ真実もあるように思えるようにもなり。
結局、自分がどうなると理想なのか?を
考えて形ににしない限り、本当の意味での
幸福感や充実感は得られないと
改めて認識することにもつながりました。
なので、1度きりの人生どうしていくか?
を考えることも多くなったわけですが
ここで感じたことは
- 本当に1度きりなのか?
- 人生が終わると全てが終わりなのか?
という問いですね。
おそらく人類が歴史上同じようなことを考えて
宗教などを作り出したと思うのですが
宗教に救われた人もいれば、それが原因で
現代でも争いが起きている事実もあります。
一方で日本人は無宗教というか、八百万の神を
信じる傾向が強く、儒教の影響も受けている
印象もありますが、他国の歴史や宗教などを
学んでいくと民族の特徴や文化・地理的な背景も
見えてくるものがあります。
特に形而上の内容は、科学的に証明することが難しい
というよりは証明ができないものとも感じます。
また、AIがこれだけ発達した現代では
形而下の領域を最適化するのは
AIなのかもしれません。
ただ、AIは夢も見ないし
当事者として人間と同じような感情を
一次情報として感じることもないし
人生最期を迎える感覚のリアリティも違うでしょう。
だからこそ、形而上の世界を学んだりすることの
価値が上がるような気がしているのですよね。
人間にしかできないこと、という意味で
人類のラストフロンティアのようなイメージ。
話が少し脱線しますが、高校の数学で虚数
というものを学習するのですが
二乗したらマイナス1になる数ということで
実際には存在しないわけですが、面白いのが
存在すると仮定して計算することで
科学技術が進歩してきた歴史もあります。
身近なもので言えば電気信号の処理や
音や画像処理などに活用することで
計算がシンプルになったり、量子力学の世界でも
観測はできないけれども存在すると仮定すると
粒子としての振る舞いを記述できたり
その応用として半導体や量子コンピューター
などの技術基盤が生まれています。
とすると、現代科学では目に見えない
とされている物事、実際には存在しない
(かもしれない)物事も、仮説として「ある」と
考えることで、形而下を生きる私たちの一生の
見え方も変わってくるのではないでしょうか。
人生一度きりで終わったら全てが終わり
という考え方だけだと、その人の価値観にも
よるでしょうけれども、より即物的で
自分だけ良ければ関係ないでしょ
という考え方にも接続されてきそうです。
逆に、死後の世界や輪廻転生のような考えがあったり
集合的無意識のような世界があると仮定することで
じゃあ今世ではどのように生きていくことが
最適なのか?
という問いに対する答えも違ってくるように
思えるのです。
なので科学的に証明されていないものは
信じるに値しないと即断するのもどうなのかな?
と思うこともあるし、いやしかし単なるオカルトの
世界の話かもしれないし。
その峻別が難しい所ですね。
ただ、数学や物理学の世界では、そうした
「実際には無いけれども
あるものとして仮定するとうまくいく」
ものがたくさんありますし、その恩恵を受けて
目に見える世界がより便利に豊かになっている
事実もあります。
そう考えると形而上の世界を知ろうとしたり
どのように考えられているのかを学んだり
実際に体験するようなことは価値があるなと
私的には思うのですよね。
もちろんそちらの世界にどっぷりハマってしまって
実社会を捨ててしまうのもどうかなとは思う一方で
そうした世界を探究することに使命感を
持っているのであれば、それはそれで幸せなこと
でしょうから、是非はともかくとして。
私はどちらかというと形而上の世界を見たり
知ったりすることで、形而下での生活が
より彩り豊かで、充実したものになればいいなと
思っています。
形而上の世界と呼んでいる領域も、
仮に「ある」として捉えてみたとき、
この現実の見え方そのものが少し変わるのでは
ないでしょうか?
死後の世界があるのかどうか、
輪廻転生や集合的無意識が本当に存在するのか。
それをすぐに証明することは難しそうですが
「ない」と切り捨ててしまうには、
あまりにも多くの示唆がそこにある気がしますね。
形而上の世界を学び、感じ取ろうとすること。
それは非現実や、スピリチャルな世界への
逃避ではなく、現実世界をより豊かに
生きるために必要なことかなと思っています。
そして、それを身の回りの人に伝えたり
発信することで、何か世の中にプラスに
なるような影響力を発揮できたら最高だなと。
どこまでできるかわかりませんが
時間やお金の許す限りそうした世界のことを学んだり
体験することを大切にしながら
毎日のやるべきことをしっかりやるような
自分の畑を耕すようなことも忘れずにしたいですね。
ということで今回は、目に見えない世界(形而上)が
目に見える世界(形而下)を変えていくのでは?
という仮説の話でした。
さて最後になりますが、一度きりの人生を
より充実したものにするため学びやセミナーを
メンバーさん向けに発信していています。
今回のブログで扱ったような話も
セミナーなども収録していて、アーカイブも
ありますので、ご興味ありましたら下記より
ご登録してご視聴いただけたらと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。


