片渕のプロフィール詳細について

片渕のプロフィールまでご興味持っていただき、ありがとうございます。

私は、子どもの頃から宇宙に魅せられ、将来は宇宙に関する仕事をしたいなと考え、大学・大学院と宇宙関連の研究までもしていました。

ところが、就職活動のタイミングで自己分析やら様々な社会人に会う中で、社会人教育に関する仕事をやりたいと思うようになります。

新卒で入社したベネッセという会社に約16年ほど務めたいたのですが、周囲からの多大な助けもあり、ある程度やりたいことが実現できました。

現在は、これから起こりうる環境変化を鑑み、会社員時代やプライベートな経験を活かしながら、自分の人生において成し遂げたい数々のことを実現させるべく、個人投資家・起業家としての活動をスタートさせています。

このページでは、以下に片渕のプロフィール詳細をまとめていまして、ぜひあなたにもお読みいただきたいと考えています。

その理由は、他人のプロフィールというストーリーから、あなた自身の成長につながる気づきがたくさん得られると思うからなんですね。

人は、過去の事実は変えられませんが、過去の意味づけを変えることは可能です。

意味づけを自由に変化させることで、何気ない毎日からも幸福感を得るためのヒントに気づくことができるので、片渕プロフィール詳細がその一助になればと思っています。
  

目次

1978年生まれの宇宙大好き優等生な小学生時代

この記事を書いている2018年で私は40歳なのですが、40年前の1978年7月21日に、神奈川県川崎市のとある助産師さんの家で産まれました。

父は会社員、母は専業主婦といういわゆる昭和時代の普通の家庭に、第一子で誕生となりました。

父も母も佐賀県の片田舎育ちで、地元の高校を卒業して就職して結婚して、仕事の関係で川崎に住んでいたそうですね。

2年後に妹が生まれることになり、今の川崎の部屋では狭い!という理由で横浜市緑区に引っ越し、さらに小学校入学直前にまた川崎市に戻ります。
  

両親からの想いを知る

小学校といえば・・あなたも小学校の時に「自分の苗字や、名前の由来を調べてみよう!」というのが授業でありませんでしたかね?

「片渕」という苗字は、わりと珍しいほうではないかな・・と思っていました。

小学校時代は、学校でも近所にも、本屋でも、誰一人として「片渕」という苗字を見かけなかったので。

ところが、夏休みに両親が実家(地元の佐賀県)に帰ると、、まあ「片渕」だらけ、なんですよねー。

家の表札はもちろん、商店名とか、電柱にある看板にも「片渕」の文字が。

夏休みのお盆の時期だったこともあり墓参りをすると、自分と同姓同名がたくさんあったりして。

従兄弟とかに聞くと、多くのクラスメイトが片渕という苗字だそうで、地域によってこんなに環境違うんだなー!と驚いた記憶があります。

さっき調べて見たら全国で2600名くらい「片渕」はいるみたいですねー、佐賀県がダントツで多いようで、きっと祖先はこの地でずっと生活して来たんでしょう。
  

それから、「健二」という名前は、長男なのになぜ「一」ではなく「二」をつけたの?と聞いてみると

心も体も、2つとも健康でありますように

という想いを込めてくれたそうです。

メンタルもフィジカルも健康って当たり前すぎる話ですが、40歳になって感じるのはこうして毎日仕事したり生活していくうえで、とっても大切なことですよね。

得てして、健康を含めた大事なことって、損ねてはじめて大切さに気づきませんか??

で、気づいたと思ったらもう取り返しがつかない・・!というケースをなんども目にしたことがあリますので。

人生100年時代と言われますけど、自分は順調にいけばあと60年くらいは生きていくつもりなので、健二と命名してもらったこともあるし、心と体ってのは大切にし続けつつたいなと思っています。
  

衝撃的だった自分が住んでいる地球や宇宙の存在

さて、そんな小学校時代の片渕はどんな子どもだったかというと、まあいわゆる優等生と世間で言われるようなタイプでした。

特に塾とか行っていたわけではないけれど学校の成績も上位の方で、学級委員をよくやっているような子どもでした。

小1の時は、なぜか小2で学習するかけ算九九の下敷きを愛用(↓こういうやつです)

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小2&小5の時には、授業で書いた作文を先生が推薦してくれて、川崎市から2度表彰されたり、と先生たちからは気に入られていた方です。

友人たちからも、まあ片渕を嫌いな人はいたでしょうけれども、基本的には誰とでも仲良く楽しく過ごしていた記憶あります。

ただ唯一、劣等感を感じていたことがありました。

それは、あまり家にお金がなかったことですね。

友達の家にいくと、ゲームがあったり、部屋があったり、美味しいお菓子が出てきたり。

片渕(小学生)

うらやましいなー、うちにも欲しいなー

肌感覚ではありましたが、クラスの中では、自分の家は一番お金が無い方の家庭なんだろうなーとは思っていました。

だけど、

毎日食べるご飯はあったし、給食費を延滞とかあったわけでは無いし、お金無いことで親に対して暴れたり?とか、そういうのはなかったですけどねー。

印象の残っているのはそういう感覚とあとは2冊の図鑑です。

その図鑑のタイトルは

「地球」
「宇宙」

でした。

今だと、こんな感じの図鑑が売っているようですが。

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なぜこの2冊が自宅にあったのか、自分が欲しいと言ったのかどうか・・は覚えていないのですが、この2冊の図鑑は繰り返しとてもよく読んでいたことを覚えています。

漫画とか玩具とか、子どもが夢中になるような娯楽がほとんど自宅になかったことも影響してたんでしょうけれども、図鑑を読むというよりは、ワクワク・ドキドキしながら眺めている感覚でした。

というのも、例えば

・地球は丸くて、自分家(神奈川県・川崎市)と九州のおじいちゃん家(←これがだいたい1000kmなのですが)の40倍の距離で一周できる大きさなんだ!

・月までは、さらに地球1周の距離(約4万キロ)の約10倍の距離で、これは光の速度で1.3秒かかる。

・それは1.3秒前の過去の月を見ていることと同じなんだ!え、過去の月を見ているってどういうこと!?

・ちなみに太陽までは光の速度で8分19秒かかり、宇宙の果ては138億年かかるって、どんだけの大きさなんだ!

  

  
などなど、、、とにかく地球というサイズ感が大きすぎて子ども心には理解不能だったし、さらに宇宙というのが全くもって衝撃的すぎて

片渕(小学生)

すげーな!自分が住んでいる世界って一体どーなってるんだ!

といつも一人で感動してました笑

そんな図鑑たちから多大な影響を受け、小学校の卒業作文では「将来の夢は、宇宙のことを研究する科学者や、宇宙飛行士を目指したい!」って書いた記憶があります。

そんな宇宙飛行士を志し始めた片渕少年が、父の職場が神奈川県小田原市に転勤となり、引っ越すことになったのは小学校6年生の時でした。
  

全てがオールクリアと感じた転校と進学校と言われる高校への入学

あなたももし小学生の時に転校経験があれば共感できるとは思うのですが、毎日通っていた小学校の先生・友人などが一気にオールクリアになり、全く知り合いもいない環境にいきなり飛び込むことになるのって、、結構不安ではなかったでしょうか?

小学生の時は、「家」と「小学校」の2つの世界で基本的には成り立っているように感じていたこともあり、転校とは世界の1つである「学校」が全く未知なる存在になったような認識でした。

だからいきなり小田原市の小学校に通い始めることになった時は、やっぱり不安でしたね・・そして転校生って目立つわけなので、とある人たちからはいじめられたりもしました。

まさに、小田原市という真っ暗な宇宙のどこかの惑星に突然一人で放り出された感じでしたねー。。
  

逃れられない宇宙空間でどう振る舞うか?

そこで自分は初めて考えました。

この環境をどうしたらいいんだろうか?

・逃げたところで毎日学校には行くわけだし・・
・学校休んだら親は心配するだろうし・・
・いじめっ子たちに、自分にはケンカで勝てるような体力もないし・・

環境は変えられないけれど、何か他人に負けないような、あるいは自分ならでは武器はないかなと考えていたところ、

片渕(12歳)

先生(大人)を味方につけよう

と思いました。

というのも、

・川崎市の小学校では優等生タイプで、まあ成績も良い方だし、学級委員とかやってきたのだから、それが武器かな?

・どうせ何もしなくてもいじめられるのであれば戦う武器をもっと強大にしたり、とがらせることで先生という大人を味方につけよう

と思ったわけですねー

いかにも優等生的な発想で、そりゃいじめの対象にもなるわなー苦笑、と今更ながら思うわけですが。。

とにかく12歳の片渕少年は、小田原市という宇宙空間でさまよっているのですが、自分の生き延びる術も自分なりに考えていたわけです。
  

戦う武器を磨くためには人と違うことをやるしかない

そこからですね、まずクラスで学級委員を決めよう、というタイミングが来るんですが。

小6生にもなると、誰もそういう優等生的なポジションにはなりたがらず、つまり意識高い系はかっこ悪い、みたいな空気が流れるんですよねー。

で、だいたいそこで先生がしびれを切らし、クラスの成績優秀な子が学級委員に指名されたりするのですが、小田原の小学校でも同じような感じだったそうです、これまでは。

担任の先生
さて、、学級委員を決めなければいけない日がきました・・誰がいいかしら?

シーンとする教室の中で、手をあげる児童が一人いるんですね。

僕、やります

片渕(12歳)

と、立候補するわけですww

「お前、この前転校してきたばっかじゃん!」
「学級委員なんてのは、クラスで成績1番の**がやればいいんだよ!」

と、声にならない空気が教室中を響き渡っているのを昨日のように思い出すこともできますw

担任の先生もビックリしていて

担任の先生
あ、えーと、そうね片渕くんは前の小学校でも
学級委員とかやっていたのかしら?

なんて確認もしてきました。

はい、だいぶやっていましたので、ここでもできると思います

片渕(12歳)

とか生意気言っている小6生なんて、そりゃ、いじめたくなるわな苦笑

そんなこんなで転校生がいきなり学級委員になったことを皮切りに、転校前の学校の時と同じように授業とかでも遠慮せずガンガン発言しまくるようになりました。

「真面目である、優等生である」って言葉、時には揶揄されがちですけど、でも自分にはそれが武器であり、もっと尖らせることで力を発揮していくぞ!と思っていたんですね。

さらに幸いにして?友達もあまりいなかったので「地球」「宇宙」という図鑑がバイブルだった自分は、学校の図書館に通い始めます。

「宇宙空間はとてつもなく真空である。どのくらいかというと1㎤に水素原子4個しか存在しないくらいだ」

という表現が図鑑に掲載されていて、書かれていることが意味不明だったんですね。

片渕(12歳)

水素原子って何だ?

というのをある日、調べにいきます。

でもどうやって調べたらいいのかわからないので、とりあえず「水素原子」という4文字を頼りに、「原子」と書かれている図鑑のような本を見つけて読むわけです。

きっと、この中に水素「原子」に近い話があるに違いない、と思っていたわけで。

で、そこで初めて、

・物質の最小単位が原子で(現代では原子よりももっと小さい単位ありますけどね)とんでもなく小さいので、目では見えない

・水ってのは、水素原子2個と酸素原子1個が合体していて普通は液体の状態。だけど寒いところは氷とか雪に状態を変えることもあるし、熱いところだと水蒸気として気体にもなる

なんてことを知りました。

砂糖は炭素原子11個、水素原子12個、酸素原子6個で構成されている。水に砂糖をとかして砂糖が消えて見えても、その水が甘く感じるのは、目に見えない砂糖の「構成」が変わらず水の中にあるから

1日ノート1ページの宿題を毎日やることになっていた当時、「原子と分子」という本を読んだ気づきを、このように書いて提出したこともありました。
  

  
担任の先生が学級通信ということで、保護者向けにビラを配布するのって今も昔もありますよねー?

・片渕くんという転校生が川崎からやってきた

・いきなり学級委員にも立候補してくれていた

・原子とか分子とか興味持っているらしい

・こんなクラスですが今後もよろしく

とある日の学級通信には、そのようなことが書かれていましたw

それを読んだクラスの中でも成績優秀だった児童の保護者の方から、授業参観があったとある日に声をかけられます。

あなたが噂の片渕くんね。

ウチの子は、いつも片渕くんのことを話してくれて、勝手にライバル視しているみたいで良い刺激になっているみたい。

原子とか分子とか自分で調べて、本当に科学者とかになりそうね。

ありがとう、これからもよろしくね

自分の得意領域をどんどんとがらせ、大人を味方につけることで、友達が増えてくる現象もこのように起きはじめてきました。

・自分はいじめっ子たちにはケンカでは勝てない

・だけど、授業や学校の中という狭い範囲であれば、この学校でもヒーローになれる

・寒い目で見られがちな優等生ではあるけれど、優等生と言われる人たちの間であれば、相手にポジティブな影響を与えることもできる

と、小田原市という宇宙空間の中で、自分が突き進む道を見つけ始め、自信を取り戻すようになります。

自分の興味あることや得意なことでこれからもどんどん突き進んで行こう

何なら本当に宇宙飛行士になれるように、がんばろう!

と小学校の卒業式で思いながら、同じく小田原市立の公立中学校に進学します。
  

宇宙に行くためのファーストステップとしての高校受験

進学先の中学校は、複数の小学校から生徒が集まって1学年10クラスを構成していました。

で、1学期が始まるときに、恒例のアレが始まるわけです。

「学級委員を決める」

中1の担任の先生は、どうせ立候補募っても誰も手なんかあげることは無いことを察していたので、

同じ小学校からきているクラスメイトもいると思う

先生は、まだみんなと会って数日くらいしか経っていないから、みんなのことはこれから知っていきたい

でもまず学級委員を決めたいので、今から紙を配るから「この人がいいんじゃないかな+その理由」を書いて決めていこう

といって紙を配り始めるんですね。

で、みんながそれぞれ出身の小学校の生徒たちの名前を書き始めます。
  

  
その紙を回収し、先生が集計しはじめた結果、学級委員が片渕に決まります。

先生からは、転校してきたにも関わらず積極的に学級員をやるとか素晴らしいからぜひ、みたいなことを言ってくれましたが、まあ先生ウケは抜群でした。

ちなみに自分は、自分の名前を書いてましたw

そんなこんなで中学時代を過ごし、勉強で1番になることはなかったですけど成績は上位の方でした。

スラムダンクが流行っていたこともあり、バスケットボールの部活に入ったりもしますが、そんなに運動神経よくないしケガとかもしてたので、やっぱり自分は勉強とかそっち系の方に進む方が良いんだろうなと思っていました。
  

  
高校受験が近くなると、周りの生徒は塾に行ったり、家庭教師にきてもらっている人もいたようですが、やっぱり頭がよかったですねー

ウチはお金がなかったので塾には行かず、でも通信教育だったら安いしいいよ、ということで進研ゼミは、やらせてくれました。

添削問題を提出して、赤ペン先生からあれこれ添削してもらったり、どうやったら宇宙飛行士になれるのか?というのも、進研ゼミから届く教材を参考にしながら、具体的な情報を仕入れていくことができたのは、とてもよかったですねー(なんだかステマみたいですがw)

その結果、自分の高校受験などの方向性としては

・宇宙飛行士や宇宙関係の仕事につくためには、できるだけ高学歴の方が良さそうだ

・ウチにはお金が無いから、自宅から通えて学費も安く、宇宙のことが学べるとするとベストなのは東京大学

・塾などに通って私立高校受験をすれば確率は上がりそうだが、ウチにはお金がないからその選択肢は無理

・でも地元の進学校である県立高校に入れば、まだ可能性はありそう

ということを考え、無事に希望通りの県立高校に合格します。
  

ポジティブな意味で衝撃の連続だった高校生時代

進学したのは小田原高校という県立高校なのですが、ここも1クラス40人くらいで10クラスあるという、学年で400人くらい同級生がい他のですが、入学早々忘れもしない出来事がありました。

それは、学力テスト(中学校まで学習した範囲)をやったのですが、なんと396位という結果でw

これまでずっと上位の方にいたこともあるので、この数字を見たのは衝撃的でしたね。

でも、

大きな挫折・・という気持ちにはなりませんでした。

むしろ逆に、

・うわー、やっぱすげー頭いい人たちがたくさんいるところに来れたんだ!

・もう底辺にいるからこれ以上悪くなることは無いなw この環境でもまれて成績上がっていけば、宇宙飛行士の夢がどんどん現実になるからがんばろ!

とポジティブに考えてましたね。

当時、学年で1人か2人くらいは毎年東京大学に合格している、というのは知っていたので、要するに下から数えて4番目ではなく、上から数えて4番目くらいにならないとな、という具体的な目標もできました。

また、

高校の同級生
東京大学に行きたいのであれば、進研ゼミよりもZ会の方が良いかもよ!

と同級生の勧めもあり、高校時代は学校の勉強とZ会の教材を中心にやっていましたね。
  

勉強以外の面白さを見出しはじめた「みんなで創る体験」

といってもずっと勉強ばかりしていたのではなく、例えば部活にも入っていました・・鉄道研究部に所属していたのですがw

だけど鉄道の研究とかには全く興味はなく

・部室があったから

・青春18切符を使って、旅とかしてみたかったから

という理由で、部室でみんなで放課後ゲームとかして遊んだり、夏休みに10日間ほど北海道に貧乏旅行とかして楽しんでました。

この北海道に行った時の経験もまた衝撃的でしたねー。

基本的にお金なかったので、どこかに宿泊はせず夜行列車の中か野宿ということで、東京の上野駅から夜行列車で北海道を目指すわけです。

まあ10代でもあり体力だけはあったので、電車で寝泊まりしながらラーメン食べたり、野生の動物に遭遇して感動したりしてたのですが、ある日の夜に道東の網走〜釧路の間くらい無人駅で野宿をしたんですね。
  

  
で、一緒に旅行してた友人は寝袋を持っていたのですが、自分は

片渕(16歳)

え、夏でしょ?寝袋とかいらなくね?

ということで、地面に寝るわけですねーw

ただ、さすがに直に地面に寝ると、下はコンクリートなので、新聞紙を引いて寝ることにしました。

ところが、ここで問題が発生します。

何かというと、、寒い。

ていうか、息が白い。。

北海道とはいえ、夏だから涼しいでしょと、タカをくくっていたのですが、、特に道東エリアの夜は寒いんですね・・息が白いってことはだいたい気温が14度くらいってことみたいですけど。

さすがにこれでは寝れないので、野宿する無人駅近くにあったゴミ箱から新聞紙(東スポ)を調達し、かけ布団として寝ることにしました。

あまり知っている人いないと思いますが、新聞紙の式布団+かけ布団の組み合わせの寝袋?は、あったかいんですよねーww

そして翌日は、東スポ一面のコピーが転写されてしまったTシャツを着ながら、残りの道内旅行を楽しんだのは良い思い出でした笑
  

  
また、高校の文化祭では、部で恒例の旅行小冊子のようなものを毎年発行していたんですね。

で、鉄道研究部なので、これまでの過去の冊子は、

・地方ローカル**線を走る、E***型とF**型の電車が交差する瞬間

・廃線跡の雪道を歩いて訪ねて

など、鉄道大好きな人向けのものだったのですが、、自分たちは鉄道というよりは北海道貧乏旅行のはっちゃけた様子や、新聞紙で寝袋作りました的なことを掲載したこともあり、一般の人たちにも面白がって読んでくれたのはよかったです。

今こうしてブログとか書いていますけど、自分の体験を文書で伝える面白さを実感したのもこれが最初だったかもしれません。
  

  
また、部活とは別にクラス対抗で演劇などを行う文化祭には死ぬほど力を入れる高校だったので、自分はクラスで主催する演劇の企画・演出から登場人物・裏方まで全て担当したことも良い経験でした。

確か、オペラ座の怪人・・のストーリーを参考にしながら、オリジナルの脚本・演出を考えた気がするw

これまでの自分は、勉強とか学級委員くらいしかやっていなかった感じで物足りなさ満載だったのですが、、どこまで自分にできるかわからないけれど、こうして仲間たちとアイディアを出しながら自分たちの感性であれこれ作り上げるのって面白い!と感じたことをとてもよく覚えています。
  

第一志望ではないけど宇宙に望みをつないだ大学受験結果

そうこうするうちに大学受験も間近に控えてくるわけですが、自分としては

・大学では宇宙関係の研究をする

・お金がなかったので、自宅からMAX2時間程度で通える大学のみを受験する、浪人はできない

・環境として最高なのは東京大学だけど、条件に当てはまる大学はその他も数校ありそうだ

ということを調べ、考えていました。

最終的には学年で30番近くの成績になったこともありましたが、、まあ受験控えるとみんな学校のテストとか真面目に受けないので、成績順にはあまり意味はないなと思っていました。

そして、やはり元々の自分の自頭は抜群に優秀なわけではないので、塾や予備校にも一切行かず(お金なかったし)東大現役合格は難しいだろうなーと感じていました。

案の定、センター試験では8割くらいの得点だったので東大は断念し、最終的には東京都市大学(旧:武蔵工業大学)に進学することになります。
  

宇宙に関する研究を実現させていた大学・大学院時代

所属学部は工学部で、学科は私がちょうど入学するタイミングで新設された「機械システム工学科」というところでした。

この学科は6つほど研究室があって、そのうち1つの研究室で宇宙に関する研究をやっていることを高校時代に見つけ出したわけです。

大学名とか偏差値とかではなく、研究室単位でリサーチしていたおかげで見つけられたんですね。

当時の、この研究室の先生がまた凄い経歴をお持ちでして

・東大で航空宇宙工学科を卒業後、三菱重工業でロケット開発に携わっていた技術者

・しかも社内では技師長(技術部門で最高位、今でいうとCTOですかね)、日本のロケット打ち上げ場所である種子島宇宙センター長なども経験

・あまりにもすごい人なので、「さらに昇進して経営幹部にならないか?」と声がかかるも、ご自身はずっとロケット開発をやりたいので会社を退職し、これまでの経験を論文にまとめ博士号をとり東工大の教授に就任

・東工大の近くにあった東京都市大学で、宇宙に関する研究室をスタートさせるのでお声がかかり着任

などという話を、入学当初に教授ご本人から伺っていました。

というのも、自分はこの研究室に入リたかったので

片渕(18歳)

どうやったら入れますかねー?

と、教授の研究室に突然訪問して聞いたんですね。

そしたら、上記のような経歴の話なども含め

教授
大学は学問するところだから、学問で優秀な成績を納めるようにすれば大丈夫だよ

という至極まっとうなアドバイスをもらったことを覚えています笑

片渕(18歳)

まあ、そりゃ成績優秀な人から順番に、行きたい研究室を選べるようになるよな

ということで、研究室の配属先が決まる大学3年の前期まで、どれだけ良い成績が取れるか勝負だなーと思い、大学での勉強もがんばりはじめます。
  

大学の授業で初めて勉強の中身そのものの面白さを実感

実際に授業に出てみると、これまた高校時代までの先生とは別世界の教授陣が、個性豊かな授業や実験を始めるんですねー。

でも、全体的には「面白い!」と感じる授業や実験がとても多くありました。

なぜかというと、例えば高校の数学の授業で「虚数」というのを習ったんですね。

虚数というのは、2乗すると-1になる実際には存在しない数「i」、という感じで習った記憶あるのですが(今は違っているのかもしれませんが・・)

片渕(高校生)

実際に存在しない数なんて習っても何の役に立つんかな? まあ受験のために必要だから勉強するしかないんだけど・・

と、受験のため将来のため、仕方なく数学をやっていた状態だったんですね。

実数(実際に存在する数、マイナス5とか4とか)と虚数を、x軸y軸と交差させて複素数平面でどうこうする計算とか、極座標(x,yの直交座標で位置を表すのではなく、原点からの距離と角度で表す)がどうとか、なんか複雑で大変だなーと、高校時代はずっと思っていました。
  

  
ところが、大学の授業では、より実社会・実生活に利用されている物の設計や計算の話が出てくるので、学ぶことの意味がよくわかるんです。

虚数のおかげで、電気電子回路の計算もできるし、新幹線の先頭車両部分や飛行機の翼の形も理論的に設計もできるわけです。

極座標のおかげで、ロケットや人工衛星の軌道コントロールも容易に計算できます。

片渕

こういう学習を高校時代にできていたら、また大学受験の結果も違ったかもなー

と思いながら、自分がやりたいコトにつながる学びは、さらなる学びを加速させるものだなと実感します。

当然ながら成績もついてきて、おかげさまで一番の成績で宇宙の研究室に入ることができました。
  

研究テーマは人工衛星に搭載するシステムの設計と大学院へのチャレンジ

大学3年生の後期に、研究室に仮配属という形となり、担当教授から卒論に関する話がチラホラ出てくるのですが、片渕がやる研究は人工衛星に搭載することを想定したシステムの設計する内容でした。

そのシステムとは、宇宙環境の中を航行する人工衛星は、太陽からの強力な電子線などの影響で不具合がおきやすい(地球上では空気があるのでバリアの役割を果たしているが、宇宙環境には空気が無い)ので、不具合がおきる前に状態を把握して回避するというもの。

乾燥した冬の晴れた日などに静電気で、バチっとなった経験ってあなたもありますよね?

まさにそのような状態が宇宙環境にいる人工衛星でもおきてしまい、搭載機器が壊れたりするケースがあるので、それを未然に防げるようなシステムを作るわけです。
  

  
そこで、特に地球まわりの宇宙環境に関する内容は所属していた宇宙の研究室で学び、具体的なシステムについては電気電子関連の研究室で学ぶ、という2つの研究室を掛け持ちする形で研究がスタートしました。

もちろん前任者の院生が両方の研究室にいたので、その方たちから引き継ぐ形になるわけですが、、まあ内容も高度だし、ボリュームも半端無いんですよね。

だけど、聞けば聞くほど面白い研究テーマだなと感じ、これは残りの学生生活1年ちょっとだけではなく、大学院に進学して3年くらい取り組んでみたい!と思うようになりました。
  

  
ところが、

あまりお金なかった家庭事情もあるため、自宅から大学まで毎日片道2時間かけて通っていたわけですが、私立理系ということで学費も高かったんですよね。

親と相談したところ、予想通り「大学院に行かせられるお金ないなー」という話になりました。。。

希望する研究室にも入れて、とても面白い研究テーマを任されている以上、これは何とかしたい!と思ったので、自分でバイトして学費を稼いで進学しようと思い立ちます。

すぐさま、大学近くのコンビニでアルバイト雑誌を立ち読みして、深夜の都心コンビニのバイトを見つけ応募に行きました。
  

  
ちなみになぜ、深夜の都心コンビニのアルバイトにしたかというと

・研究や授業などで忙しいので、日中のアルバイトは難しそう

・となると深夜で時給がよくて、誰でもできるのはコンビニではないか

・都心の方が時給も良く、アルバイト先⇔研究室を往復する生活の方が効率的

って考えてましたね。

詳細な時給とかは忘れましたけど、1日アルバイトすれば1万以上は稼げたので、まずは次に学費を支払うタイミングまでに1学年分の学費119万以上を稼ぐよう、最大で週5回の深夜コンビニバイト生活をスタートすることになりました。
  

ハードだけど楽しかった深夜のコンビニバイトと1枚の手紙

今振り返ると、よく日中に研究とか授業とかしながら、深夜に週5もバイトしつつ、朝と夕方など細切れに睡眠とる生活を続けられたなーと思うのですが。

ハードだなとは感じていましたけど、悲壮感漂わせながらクタクタになってバイトも研究も・・とは真逆の生活でした。

MEMO
ちなみに研究室⇔アルバイト先の生活で、どこで寝ていたのか?というと、研究室にあった布団か、スキューバダイビングのサークルに所属していてサークルで大きい車を保有していたんですが、その車の中で寝てましたね。

大学の友人からは「大学に住んでいるよね」とよく言われましたが、まさにその通りですw

都内の代官山駅と恵比寿駅の間くらいにあるコンビニだったのですが、元SMAPメンバーの草なぎ剛さん、ウッチャンナンチャンのナンチャンが買ったお弁当とかはよく温めたりしてました笑

あんまり芸能人とかには興味なかったものの、学生時代にテレビなどでよく見かけた人たちも、こうしてコンビニ来たりするんだなー(まあ、そりゃコンビニにも行くよね)と思ったり。

一緒に深夜のアルバイトをしていた人でお笑い芸人になることが夢で、そのためにお金を貯めるために今がんばっている話を聞いてとても共感したり。

これまでの学生生活では決して出会わないであろう人たちと触れることで刺激にもなったし、当たり前だけどみんな毎日生活しながら、それぞれのステージで目指す道に向けてがんばっているんだな(だから自分もがんばるぞ)と思っていました。

きっと夢中だったんでしょうね、自分のやりたいことに向かっている感があったので、苦痛を押し殺して努力するという感じはしませんでしたね。

なので、大学院にも合格しましたし、所属していた学会から賞をもらったりもして大学をまず卒業することができました。

もちろん、スキューバダイビングのサークルもとても楽しかったし、素敵な仲間に巡り会えたこともあり、顧問の先生からも卒業証書なんかももらいました笑
  

  

MEMO
・「潜水科学研究部」ってのが、所属していたスキューバダイビングサークルの正式名称。理系の大学っぽいネーミングですよね。

・日本機械学会から「畠山賞」というのをいただきまして、全国の機械系の大学で勉強がんばって高成績だった人が、学科から1人選ばれるというものです。

2000年度日本機械学会畠山賞受賞者

そして

まず大学院1年分の学費を振り込みに行く日が来ました。

生まれて初めてですね、アルバイト代の振込先を郵便局にしていたので、まずは100万円をおろし、その後19万円をおろします。

大学生なので普段は数万程度しかおろさないわけですが、、100万を機械が処理している音の長さ、そして119万の重さは今でも鮮明に思い出すことができますねー。

片渕

これで、自分の夢である宇宙に関する仕事の実現に向けて、また一歩進んだなー嬉しいな!

という気持ちで銀行に持って行って、達成感いっぱいな気持ちで無事振り込み完了します。
  

  
ある日、いつものようにコンビニでの深夜アルバイト明けて、研究室の自席についたところ、1枚の手紙が置いてありました。

なんだろ?と思って見てみると、なんと・・!
  

  
授業料 全額 免除

の7文字が!!

・・そうなのです、選んでいただきました。

ようするに、学年で数名程度だったようですが、成績優秀者には学費免除の制度があったんですねー。

ということで、納めた学費が自分のところにそのまま戻ってくることに。

これは嬉しかったですねー。

戻ってきた119万年は来年の学費に回せばいいので、あとは自分が生活する分を稼げばいいかなということで週3程度の深夜バイトに調整をしていきます。

さらに、、

その1年後も、授業料全額免除をいただくことができました!
  

  
そこで、長らくお世話になった深夜コンビニアルバイトを辞め、残りの学生生活は研究と、大好きだったダイビングに集中することにします。

充実した大学院での研究生活で感じた違和感と就職活動との出会い

学費の件はこうして一段落どころか、合計238万も大学から戻ってくるような形だったので、嬉しかったですねー。

そして肝心の研究の方はというと、大学院になると研究の本格度も増して、実際に宇宙関連の団体や企業の研究者の方たちと進めることが多くなりました。

現在であれば、宇宙航空研究開発機構 JAXA(ジャクサ)と言いますが、私が大学院生だった2001年ごろは

1宇宙開発事業団(NASDA)@茨城県のつくば市

2宇宙科学研究所@神奈川県の相模原市

3航空宇宙技術研究所

の3つの団体が、日本の航空宇宙業界を仕切っている感じでした。

片渕が関わっていた研究では、1と2にはよく行って設備を借りて実験などしていましたねー
  

  
人工衛星に搭載するシステムなので、実際に宇宙空間と同様な環境を作り出せるところが当時はNASDAにしかなく、つくばまで何度も車で往復した記憶があります。

NASDAでは、一般の人が立ち入り禁止のエリアにも入ることができて、ロケットを打ち上げて切り捨てたエンジンノズルを見たり、宇宙への打ち上げが予定されている本物の人工衛星などを見ることが出来たのは貴重な経験でした。

また、大学院1年の時には、人工衛星の衛星設計コンテストにも出場し、予選通過して本選で審査委員特別賞を受賞したり、東京大学をはじめ航空宇宙関連の研究に従事している教授陣や博士・修士の学生との交流なんかもできました。
  

*画像クリックすると片渕が参加した第9回の衛星設計コンテストのページに飛びます。

このように、とても大学院時代は充実した研究生活を送っていたのですが、、研究が進めば進むほどある1つの違和感もどんどん大きく感じるようになりました。

その違和感は正体は、

研究は成果が見えるまで道のりが極めて遠いこと

なんだと気づき始めます。
  

研究生活のリアルが見えたからこその違和感

まあ、こういうことを言うと宇宙のみならず研究者・技術者として日夜がんばっている方には申し訳ないのですが、、おそらく自分の価値観と照らし合わせたときに、果たして定年退職までこのまま宇宙に関する仕事に従事していたとして、どうなんだろうか?と感じ始めたんですね。

どういうことかというと、宇宙の領域に限った話ではなく得てして研究というのは、毎日地道な基礎研究やトライアンドエラーのテストの繰り返しであって、それが大学院生になって実際の研究者・技術者の方たちと一緒に研究をやりはじたからこそ気づくわけです。

特に宇宙系の仕事は多数の大規模システムの集大成なので、この仕事に関わり続けることでの達成感やワクワクできるかな?ということが気になってきたわけです。

飲み屋でグチばっかり言っているサラリーマンよりは全然良いなとは思っていましたけど、学生を卒業して社会に出て仕事をするっていうのは、毎日心躍るようなワクワクするような機会はもう存在しないもの?会社員であれ研究者であれ、何かを我慢するから給料をもらえるもの?という考えも、ふつふつとわいてくるようになります。

そんなモヤモヤ・・な気持ちを抱きながら、ある日大学の掲示板で、ふと講演会の告知ビラを目にします。

そのタイトルは「就職活動講演会」でした。
  

  
理系で、特に院生でもあったので、先輩たちは皆、機械や電気系の日系大手の企業に推薦のような形で就職しているような状況でもあり、あまり就職活動そのものに意識を向ける学生は少なかった印象だったのですが、自分はそんなモヤモヤする気持ちもあったのでとりあえずノリ参加することに笑

でもまさか、これが自分の人生を大きく変えるキッカケになるとは知らずに。

就職活動は就職するためだけの活動ではない

講演会には、就活コンサルのような方たちが、巧みな話術で笑わせながら就職活動の重要性などを話してくれました。

そのうちの1人の講師が書籍を出しているとのことだったので、とりあえず就職活動ってどんなものか知らなかったので、その本を買って読んで見ようかなと思ったんですね。

講演会に来てくれた福島直樹さんという方で「就職2003!」という本が見つかったのでそれと、その隣にもう1冊やたら分厚い本で「絶対内定」と書かれた杉村太郎さんの本が気になったので、この2冊を買って読みました。

もう15年以上も前なので詳細はあまり覚えていないのですが、、福島さんの本は

・就職活動とは会社に就職するだけの活動ではなくて、会社を利用して自分のやりたいことを実現させよう

・就職活動とは苦しいものではなく、遊んでしまうくらいの気持ちでやろう

・メーリングリストを使って一緒に就職活動がんばっているコミュニティ運営しているから興味あったらどうぞ

というような内容だった記憶があります。
自分は就職活動はもちろん、宇宙のことばっかりやってきたこともあり、そのコミュニティに参加(400人くらいいました)し文系の意識高い学生たちと一緒に就職活動をやってみたら勉強になるだろうし面白そうだなと思い、参加することにしました。

さらに、できるだけリッチな経験や情報に触れてみたかったこともあり、コミュニティの幹事にも立候補をし、休日のとある大学の教室を貸し切って、100人近くの就活生を呼んで、ES勉強会・グループディスカッションや面接練習、就活コンサルの方はもちろん社会人や人事の人にも来てもらい、勉強会を複数開催したりもしました。
  

  
特に思い出深かったのはそうした勉強会だけではなく、みんなで就活がんばろうということで箱根駅伝を自主的にやったことですかねー

20人近く有志が集まって、東京大手町の読売新聞社前から箱根の芦ノ湖までタスキをつないで走りきったのは、貴重な経験でした。

そして杉村さんの本は、タイトルに「内定」とか書かれているんですけど、一読して、「あ、これはもはや就活どうこうの本じゃないな」と思いましたね。

・あなたという人はどんな人生を歩んで来て、今どんな人間でいて、これからどこへ向かうつもりなのか?

・理想の未来を描いた時に、今あなたは、これからどうして行くのか?徹底的に考え、そして実行せよ

・極論だが、どこに就職できた・できないとかはホントどうでも良く、遠慮なく描いた理想の人生を突き進もう

というメッセージを自分はもらいましたし、ここまで深く掘り下げ考えて実行する価値はあるんだろうと思いました。
  

自分のことを知るそして世の中のこともリサーチをはじめる

そこからですね、まずノート100枚は軽く超えたであろう分量で、自分のこれまでの人生を振り返り、よかったこと・ダメだったこと、あの時に戻れるのであれば今ならどうすべきか?などを書き出しまくりました。

まあ、これが就職活動でよく言われるような自己分析だったり、自分の就活はもちろん人生の軸となるようなものを洗い出すようなことにつながります。

そして、これから就職活動→社会人になっていった時の理想の未来なども考えたりしたんですね。

自分自身がどうなりたいかはもちろんですが、世の中に与える影響だったり、家族や両親やお世話になった人へどのようなことを通じて恩返しをして行くのか?もどんどん書いていくことで、仕事を通じて社会貢献する意味なども実感し始めるわけです。

当然、自分にはそうした世の中のことや、理想の未来=宇宙に関する仕事くらいしかわかっていないこともあり、コミュニティのメンバーのOBOG訪問にくっついていって、あらゆる業界の社会人の人たちと触れ合い、話を聞いて情報収集もしました。
  

  
そこで初めて、世の中にはどのような業界があり、どんな人たちが、どのような想いで仕事や生活しているかを垣間見るんですねー。

また、業界ごとにやりたいことがある程度決まっている学生たちとの接点もとても多かったので、彼ら・彼女らと肌感覚で自分に合う・合わないなども感じていました。

逆に、「ずっと宇宙のことを目指してきて大学院まで来たのに、こうして就職活動をしているあなたと出会えたのも刺激になった」とも言ってくれる人がたくさんいて、対話を通じて自分では気がつかない強みを知ることもできました。

就職活動を走りながら、自分が本当にやってみたかったこと、一緒に仕事をするんであればこういう人、という輪郭がだんだんとはっきりするようになります。
  

イケてる社会人との出会い

特に、自分が共感するなど感情が動いたのは、30代のとある会社の社員だったのですが、どういう想いで今の会社で仕事をしていて、仕事を通じて世の中や自分自身をこういう風にしていきたいんだ!と熱く、かつ冷静に語る姿は、素晴らしさを超えて感動するレベルの出会いもありました。

福島さんの本にもあったように、社会人として給料をもらうとは我慢の対価ではなく、高い志を持って会社を良い意味で利用しながら、自分の価値を高め、世の中にプラスの影響を与えていくもので、それを体現している人って数は少ないかもだけど実際に存在しているんだと心底実感しました。

そして、

・自分も将来そうなりたいな!そんな魅力的な大人がもっともっと増えていければ、少しずつ世の中良くなるし、希望を持てる人たちが増えるんじゃない?

・魅力的な大人が増えれば、学生たちはそうした姿に憧れて社会人を目指す人も増えるだろうし、仕事を離れて家庭や地域に帰った時に周りにプラスの影響を与えるんじゃない?

・魅力的な学生が増えれば、偏差値だけの基準で大学を選んだり、受験のためだけに努力するのではなく、憧れの存在ややりたいことベースで将来の進路を考え、大学に入ってからも夢中で好きなことを追求するんじゃない?

「こういうふうになりたいなー」という良いロールモデルの存在は、「目標のためにがんばる」=努力を「気がついたらあっという間に時間が過ぎる」=夢中に変える力があるなと思ったので、自分はこういう意味での社会人教育をやってみたい!と考えるようになります。

そこで、社会人教育につながるような企業かつ魅力的な社員がいる会社を中心に、就職活動を進めることしました。

教育ということで、主に高校生以下をターゲットにしていた教育最大手のベネッセも、自分のやりたいことは近い企業でもあったので選択肢の1つに入ってきたんですね。

ベネッセの場合は、別に進研ゼミの教材を作りたいわけではないけれど、面接官の人たちがとても素敵な人ばかりで、当時は大学生向けのキャリア教育やその先の社会人領域のビジネスも考えている話も聞き、選考を受ければ受けるほど志望度が上がっていたこともとてもよく覚えています。

最終的にはいくつか内定をいただいた会社の中からベネッセを選ぶことにして、宇宙関係の会社や研究につく事は選びませんでした。

※就職活動の時の様子を「就職ジャーナル」という雑誌にも掲載いただきました(クリックすると拡大します)
  

  
ただ、どんな会社に入れば成功とか、この選択肢が最高とかは存在せず、その選択肢がベストであったと将来言えるように、自分がやっていて楽しくかつ周りにもポジティブな影響を与えることを今からやり続けることが極めて大切ということを、就職活動中に学んだわけです。

なので、大学院を修了するまでは研究もがんばるし、会社に入る前に知り合うことになる人事や内定者の同期たちにも、自分ができることを精一杯やって貢献できたらいいなと思っていました。

研究の方は、宇宙科学研究所でのシンポジウムで英語の論文を出すなど、学部時代と合わせて3年間の成果をまとめることができました。

*もはや今となっては何の研究をやっていたか解読不能ですw
  

  
また、会社の同期たちとは飲み会とかはたくさんやりましたけど、就活中にやって面白かった駅伝とかやってみない?と提案しました。

東京大手町から出発してもよかったのですが、せっかくなので会社のある多摩から箱根の芦ノ湖まで走ろうということで10名くらい同期が集まって走ったりもしましたねー。

*出発前にユニクロで買ったTシャツに、同期&人事の方からお互いのTシャツにメッセージを書いてます、平日の会社の前でw
  

  
*出発前に会社の前で同期たちと記念撮影、片渕はピンクTシャツで第一走者でした
  

  
*街中をピンクのTシャツにたすき姿の片渕が疾走中〜w
  

  
*険しい箱根の坂を走ります・・
  

  
*無事、当日中に芦ノ湖にゴール!
  

  
*そのまま箱根に泊まって打ち上げ〜
  

  
また、調子に乗って大して得意でもないのに、会社の入社式代表挨拶にも立候補し、入社式の前日に本社のある岡山に移動し、僭越ながら挨拶もさせてもらって社会人がいよいよスタートすることになります。

配属希望とは違った部署での社会人生活のスタート

数週間の入社時研修が終わって、最初の配属部署は小学生向けの教育サービスを企画編集する仕事でした。

社会人教育に興味あった自分としては、希望する部署での仕事ではありませんでしたが、社会人として仕事をするとはどういうことか?何も知らなかったし、ターゲットとする社会人=ベネッセの社員にどんな教育のニーズがあるかもわからなかったので、まずは何年か任された仕事をしっかりやってみよう、というマインドで取り組んでいましたね。

もちろん、仕事外の時間は、会社からもらった給料はもちろん、時間のほとんどを「社会人教育」という領域に、とりあえず思いつくママに本を読んだりセミナー参加したり、人に聞いたりすることでリサーチやインプットをはじめました。

*このあたりについては社会人としての自己投資の大切さというテーマで記事書いてみましたので、よかったらご覧ください(お読みいただきましたら、またこちらにも戻ってきてください〜)

社会人としての自己投資は想像以上に大切で身近な人をも幸せにする

どんな仕事でも大切になる基礎を学んだ最初の3年間

結局3年間ほど企画・編集の部署にいたのですが、今思うとどんな領域でも会社でも仕事をする上でとても大切なことを学ばせてもらったと思っていて、当時の上司や先輩方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

顧客視点:どんな仕事にもお客様が存在していて、そのお客様が困っていることや欲していることに(期待以上に)応えることの対価として信頼(お金)をいただくのがビジネスの基本

企画力:お客様の課題、特に顕在化していないものも含めた課題を解決することを目的に、進研ゼミという講座全体でも、1つの冊子でも、1ページ単位でも役割が存在している。その設計を考え、社内・社外の多くの人を巻き込み、編集していくという企画力はどんな仕事でも必要

特に上記2つは、どこまで自分はできていたか・・というのはありますが、どんな仕事でも大切にしたいし、自分の力を磨き続ける必要があるなと今でも思っています。
  

  

会社で働く社員や組織を強くする仕事への挑戦

その後、社会人4年目からは、社内にマーケティング・営業本部という部署が当時あり、そこでトップサポートという仕事を3年ほど経験しました。

主にどんなことをしていたかというと、部門で働く社員個人や組織の力を強くすることをテーマに、社外からコンサルを招いて課題を特定したり課題解決の方法を模索したりしました。

特に営業の部署だったので、数値成果がはっきりと見える仕事もあれば、新しい施策にトライして企画を仕込んでいる社員や、新人などこれから成長して成果を出していくであろう社員もいるわけですね。

なので、自分はそうした人たちの取材をして、任されている仕事が会社や組織にどのような影響を与える可能性があるのか、部門長からの期待を込めた手書きコメントや写真なども勝手に編集し、部門内のフロアの壁やトイレなどにもポスターを作って貼ったりしていました。

みんな忙しくて、なかなか隣の部署の人がどんな仕事をしているのか見えづらいこともあり、社員や仕事を魅力的に見える状態にして、お互いを認めたり褒め合う風土のきっかけを作ったんですね。

どんなに忙しい社員でもトイレには絶対行きますからねー、まあ気分は学生時代の学園祭のノリでしたが笑

やりすぎで怒られたらやめるかーくらいに思っていましたが、怒られるどころか逆に多くの社員の方から感謝されることが多く、良い仕事ができたのかな?と思っていました。
  

社会人教育の仕事へ異動

3年間トップサポートの仕事をしていたのですが、その後は、人事に異動して人材開発の仕事をすることになります。

新人研修や若手社員向けの研修を企画したり、当時の人事制度に添いながら、社員にどのような成長を促していくかの育成体系やしくみ作りを考えていったんですね。

特に、印象的だったのは、プロジェクト的に次世代のリーダーを育てることや、会社がホールディングス化されるタイミングでグループ全体でどのような人材育成していくのか、経営者などにインタビューを繰り返しながら方法論をまとめ上げることや、そこから見えてきたことを個別の企画や施策に落としていくプロセスは、とても勉強になりました。
  

ロールモデルの抽象化と具体化への仕組み・仕掛け作りの毎日

社員のロールモデルとなるような優秀な人は、志が高かったり、経験から学び取る力が優れていたり、気づく力に長けている傾向にあったので、例えばそのエッセンスを自分が担当する研修企画などに織り込んだりもしましたね。

また、研修などで新しいことを学んだり気づいたとしても、毎日の忙しい仕事の中だとすぐ学びや気づきを忘れてしまい、元どおりになってしまうケースも多いなと感じていました。

そこで、研修の前にどうやって動機付けて参加してもらい、研修後にどうやって定着してもらうかの仕組みを考えることにも注力しました。

これって言葉にすると当たり前なのですが、研修に来る社員というのは、担当する仕事で忙しくバタバタしている最中に、いろんなモチベーションやマインドで研修に参加するわけです。

前向きに学び取るぞ!という人もいれば、業務立て込んでいてそれどころではない・・という人もいるんですね。

置かれている状況が様々である顧客(社員)の貴重な時間をもらうことになるので、学びに向かう状態を作り、気づきを得て、学んだ後に実際の仕事でアウトプットが最大化できるところまで想像力を働かせて全体設計することが重要だな、といつも思って仕事をしていました。
  

社内・外ネットワーク作りと生きた事例からの学びの重要さ

それから、テクノロジーを駆使して新しいビジネスを考える仕事も担当していました。

社内の若手社員でビジネスアイディアを持つメンバーを集め、どうやってアイディアを発見したり、ビジネスレベルに昇華させたり、スケールさせていくのか?というプログラムだったのですが。

新規事業やイノベーション開発を得意とする会社と意見交換しながら、実際にビジネスアイディアを形にして、これからスケールさせていくスタートアップの方に講師としてきてもらったり、メンバーのアイディアをどのようにビジネスとして仕立て上げていくのか、ディスカッションを繰り返しました。

また、社内で実際にビジネスアイディアを形にしてリリースした人や、会社員やりながら自身の想いを形にして多くの人を巻き込み実行している社外の人たちにもきてもらい、物事の考え方や発想・実行の仕方など生の事例をたくさん触れられる機会もアレンジ。

さらに当時は、アメリカのシリコンバレーにもオフィスがあったので、現地のスタートアップの方たちやVC(ベンチャーキャピタリスト)がどのような視点で投資判断をしているのか?など、たくさんの生きた事例から学べる環境作りも行いました。

そこで思ったことは、教室のような研修会場で一方的に学ぶスタイルよりも、当事者意識を持った人たちが、少し自分たちより先を走っている人からのアドバイスやフィードバックをもらうことが、とても成長につながるなということです。
  

採用の仕事を通じて問われる「あなたはどうなの?」

そんな経験もさせてもらいながら、今度は人事で採用の仕事を担当することになります。

中途採用や新卒採用を経験するわけですが、会社や仕事に興味ある人たちに自社の魅力を伝えに全国を飛び回り、面接したりインターンしたりを繰り返しました。

自社の中で様々な仕事を経験してきましたし、また社内で知り合いも多くいることから情報も集まりやすく、魅力ある仕事のやりがい・大変さ、などエピソードとして魅力あるものを伝えることはできていたと思っています。

そして、採用の仕事をしていると、特に大学生からもよく聞かれるんですね。

大学生
片渕さんはどうしてベネッセを選んだんですか?

自分が会社を選んだ理由をはじめ、大学生の時まで宇宙の仕事を目指していたにも関わらず、就職活動を通じて社会人教育に興味を持った話をすることはできます。

会社の中での範囲ではあるけれど、様々な社会人教育につながる仕事はやってきたし、多くの社員の人から喜んでもらえる仕事はできた事実は伝えられます。
  

社会的な役割は果たすも個人の使命は果たしていないじゃない?

だけど、

結婚したり子どももできたり、タワーマンションをローン組んで買ってみたり、と普通のビジネスパーソンのようにライフスタイルや環境も変わり、毎日「夫として」「父親として」「会社員として」真っ当な生活をしているなーと思うと同時に、ところで「自分」はどこ行ったかな?とも感じるようになります。

・就職活動を通じて、イケてる社会人、素敵なオトナがもっともっと増えるような仕事(社会人教育)をやっていきたいなーと思い、たまたま入社した会社で仕事をするだけでホントに良かったんだっけ?

・基準値をどこにおくか次第だとは思うけど、日本で会社員やって家族を養って人生を全うする人生も素晴らしいのは間違いないけど、自分で勝手に自分を過小評価して可能性を狭めていない?

・人生100年時代と言われる昨今、40歳という年齢はまだ半分もきていないのに、ある程度やった感のまま残りの人生を過ごすことは、もう一度自分に生まれたとしてもまた繰り返したい人生なの?

と採用の仕事をすればするほど、自問自答するようもになるわけですね。

片渕

このままだと近い将来、自分が一番嫌だったハズの、グチばっかりで何もしないダサい大人になりかねない・・

さらに、採用の仕事をしていると、会社の歴史やそれこそ会社がどうしてはじまったのか?という創業当初の様子や、創業者の強烈な教育や子どもたちへの想いというものも話をするんですね。

そうすると、話をすればするほど、そのメッセージが自分にも問われている感覚に陥ります。

・創業者の想いやDNAを受け継ぎ、一社員として仕事をしているあなたは、どれだけ本気で生きている?

・同じ人間なのに、トライもせずにどうして自分には無理と決めているのかな?それを決めているのは誰?

・能力や人脈などは一朝一夕に築くことは難しいけれど、志を真似ることくらいは今すぐにでもできるんじゃない?

使命という言葉にすると大げさかもしれないけど、その命の使い方で満足なのかな、と。
  

現実的な課題にステップを刻み見切り発車で小さく早くスタートしてみる

だけど、1つの会社にずっーと勤めて普通に仕事してきた自分は、そうはいうものの具体的に何をどうすれば良いんだろうと悩みましたね・・まあ5分だけですけど笑

最大でも悩むのは5分までというのが自分ルールの1つにあるのですが。

悩んで手を止めて「うーん」と考えたところで、良いアイディアがひらめいたり、悩みが解決することは自分の能力的にはムリであることを知っているので、5分止まっていたら自分の外側と内側のリサーチを始めることにしています。

外側のリサーチというのは、ネットや本などにアクセスし、自分の悩みの解決につながる情報を探しまくるわけです。

そうすると解決につながるようなヒントや情報が出てきたり、とりあえずピンときたものをやってみるなど行動にうつすんですね。

例えば、どうやら今担当している仕事から異動したり、転職したり・・という次元では無い、もっと別の何かに突き進む必要がありそうだから、サンプルとして**さんのブログや本とか読んでみようかな、会って話とかできないかな、という具合ですね。

それから、内側のリサーチというのは、自分とコミュニケーションするように、悩んでいることや不安に感じることをどんどん書いていくことです。
  

  
紙とペンを用意して書いていってもいいし、私なんかはevernoteにガンガン文字を入力していくんです。

別に他人に見せるものでは無いし、文章ぐちゃぐちゃでも気にせずやっていくと、だんだんと悩みや不安の正体に気づくようになります。

だいたい自分の不安というのは、他人の目・世間からの評価だったりしますし、明日の天気もぴったり当たらないのにどうして自分のちょっと先の未来を勝手に不安の色で染めちゃうんだろ、とかですね。

そうすると、メンタルって強化できるのかな?そもそもメンタルって鍛えられるものかな?それとも日々のマインドや思考のクセみたいなものかな?などなど、具体的なワードが出てきます。

そこまでくると、今度は外に情報を探しにいけるんですね、じゃあこの本を読んでみようかな、セミナー参加してみようかな、ひとまずブログとか書いてみるかな、とか具体的な行動ができるようになりました。
  

妻の退職と超身近にイケてる大人の誕生

ちょうどその頃、もともと同じ会社で後輩だった妻(永遠の25歳)が会社を退職し、個人事業主として様々な活動をスタートすることになります。

MEMO
ちなみに「永遠の25歳」って言っている理由ですが笑

ちょうど結婚したのが妻の25歳の誕生日だったことと、現在で結婚11年目なのですが、たくさんの夫婦を見てきて思ったのが、初心を忘れず行動することだと実感しているからなんですね。

結婚式って「これからパートナーとなる人を大事にします」と宣言したり、「両親や友人など皆さんのおかげで今日を迎えられました」と感謝の気持ちを述べたり、お祝いしてもらいますよね?

それら結婚式という1日を単なる特別な式典で終わらせず、どれだけ有言実行し続けられるかがポイントと思うからなんです。
  

個人的には、永遠の25歳がやりたい!チャレンジしたい!ことは応援するしかないよね、と思っているので「がんばってね、応援してるよ」しか言いませんでした。

そして、フリーランスとして退職した会社から仕事をたくさんもらったり、自分でビジネスやったり、平日休日・昼間深夜?問わず好きなことをずっとやっていて、会社員並かそれ以上にハードそうだけど、とても楽しそうに充実した毎日を過ごしている様子でした。

片渕

あ、そうそう!こういうオトナをもっともっと増やすことを自分はやっていきたかったんだよな

と、一番身近にいるオトナを見て、改めて就職活動中にも考え、仕事をしてきて実現したかった自分の使命なるものを再認識しました。

そこで、永遠の25歳もサンプリングしながら、自分が考えていることをカタチにするには

・自分だったらこの能力や経験はビジネスにつながる・・かも?

・そもそも収入って、会社からもらう給料だけしかないんだっけ?

・仕事をどうするかという発想ではなく、生活含めたライフスタイルどうするという発想で考えると何ができそう?

など、リサーチする方向性や内容もより具体的になりはじめたんですね。

具体的になればなるほど、よりシャープな情報が集まるので、もっと前に進みやすくなります。
  

ベストな選択肢は存在せずベストな選択肢にするだけ

そうこうするうちに、あれほど会社が好きで、定年退職するまで務めるぞと思っていたのにも関わらず、退職して自分でビジネスをしたり投資家として活動すること方が、リスクが低くかつより幸福感を実感できる生き方ができるなと思うようになりました。

もちろん楽して実現できるとは全く思っていないし、会社員以上の苦労や苦難の道があるのは承知の上なのですが、これからの環境変化や自分が心底望む世界観やライフスタイルを考えたときに、現時点で考えうるベストな選択肢はこれだな、と結論づけることができました。

そして、2018年8月末に約16年務めた、大好きだった会社を退職することになります。

キャリアのほとんどが人事をはじめとするスタッフ部門で人材開発や採用に関することをやっていたので、のべ1000人くらいの学生や社員のキャリアについて、仕事や生活含めた人間関係に関する課題について向き合えたのではないか、と思っています。

退職という決断がベストな選択肢だったのかは未来になって見ないとわかりませんが、「ベストだった」と思えるような選択肢にできるようにしたいですね。

そのためには、一度きりの自分の人生を心から楽しみつつ、あなたが幸福感あふれる毎日を過ごせることに貢献していきたいと思っていますので、今後の情報発信などを楽しみにしていてください!

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