子供がワガママし放題やっているのを見ると、
もうちょっと我慢とかを覚えさせる育て方やしつけをしなければいけない・・!
と思ってしまうのは、きっとお子さんお持ちの親御さんであれば、感じたことあるのではないでしょうか。
将来子供が大きくなったときに多くの人と関わり合いの中で社会を生きていくわけなので、小さい時から我慢させることは必要と私も思います。
ところが、
・親にダメと言われたから、ダメと言われるのが嫌で仕方なく我慢する
・みんな我慢しているしそういう決まりだからね、と言い込められて我慢する
という状態にさせてしまうことは、本来の子育てという意味で最適なのかな?と疑問に思っています。
なぜかというと、子供という一人の人間を尊重していないんじゃないかなと感じるからですね。
今回は、子育てあるあるの「ワガママvs我慢」について、どのように考え、コミュニケーションしていくと良いのか?について書いてみました。
子育てに関する話ではありますが、例えば仕事において、先輩が後輩を育てる話にも通じる要素がありますので、お読みいただけると嬉しいです!
目次
我慢させることより大切なこと
あんまり子供を甘やかし過ぎずに、我慢させることを覚えさせないとダメ
しつけという名目だったり、子どもの将来を考えてのことで、このように言う人たちは多い印象があります。
でも私的には、我慢させるよりは、ワガママくらいの方が良いのでは?と考えています。
そして、人と関わりながら生きていくのは避けられないので、TPOに応じて「相手のことを思いやる気持ち」も一緒に持って、その上で行動を選択してもらうように関われたら最高ですね。
なので極論ですけど、子供はわがままし放題でも良いんじゃないかな、と。
ただし、そうするとほぼ間違いなく、友達から嫌われたりケンカになるし、そのまま大人になればコミュニケーション取れず仕事できない、社会で生活することが難しい。
その子供がそのまま大人になったとすると、状況によっては警察沙汰になったり、訴えられたりすることにもなるのです。
ワガママの結果おきる出来事から気づく
わがままで自己主張貫くメリットと合わせて、享受されるであろうデメリットもセットを知った上で、どうする?を考え行動すべきかなと思うのです。
理想なのは、自分のワガママな欲求はあるけれど、例えば周りに優しく親切にすると周りからも優しく親切にされることが多いことに気づけて、自分の頭で「ワガママvs我慢」を考え、選んで行動できることですよね。
逆に、我慢を覚える子育て・しつけが
・自分の素直な欲求や気持ちを押し殺して生きることが大人になることだったり、世の中の是であることを理解する
・禁止されているからやらない=禁止されていないんだったら何やってもOK
ということを強化してしまう方が、子どもの教育になっているのかな・・と疑問に思ってしまうのです。
思いやりがあるからこそワガママがいきる
自戒も込めてですけど、思いやりが不足しているよな・・と大人でも散見されるケースはあるわけで、私的にはとてももったいないなーと感じてしまいます。
人間なので、一番自分が可愛いし大切にしたいし、様々な欲求があることは理解できます。
でも、無人島で一人で自給自足の生活をしているわけでもないのですよね。
毎日の仕事や生活を過ごしていくために、自分以外への「思いやり」の重要さに気づくこと。
自分で判断する力を養う意味でも、我慢をおぼえさせるよりは、ワガママの結果起きるポジティブ・ネガティブな結果も丸ごと経験するために、まずはワガママを見守りつつ、相手の気持ちに気づけるようなコミュニケーションをしていきたいものです。
ワガママと思いやりの行動の結果が今のあなたの現実を作り出す
滅私奉公(めっしほうこう)という言葉があります。
私利私欲を捨てて、国とか社会とか目上の人に尽くしなさいという意味かなと私的には理解しているのですが。
もちろん世の中のために!という想いを持って活動することはとても素晴らしいですよね、私も異論は全くないです。
私利私欲のために・・は絶対に悪か?
ただ、私利私欲を捨てなければいけない、我慢が美徳のような意味合いが気になっていまして、、それが例えば仕事という狭い世界では、サービス残業だったり、過労で体調崩すことにもつながっていると思います。
そこまで行かなくとも毎日生活していて、何かすり減っていくような感覚をおぼえるのって、自分自身の体や心のセンサーがアラーム出しているような気がするんですよね。
もちろん仕事だけではなく対人コミュニケーションの話でも、自分が嫌だな・・と思うことに対しても我慢しかできず、ストレス解消や愚痴を言い合うことを繰り返す無限ループにもつながりかねないのでは?と感じます。
私利私欲という言葉は、どちらかというと自分のことしか考えず自己中心的な印象も受けるかもしれませんが、そもそもまず人間誰しも自分が好きだし、自分が得したいという気持ちはあるのではないでしょうか。
だからこそ、私利私欲を否定せず認めてあげるのが最初かなと。
その上で、私利私欲はありつつも、人と関わりながら仕事や生活をしていくので「思いやる」気持ちが重要だと思います。
自分以外の人・物を考えてから敢えてワガママになる
「思いやる」と言っても、なんでもかんでも優しくすればいいこととは違うでしょう。
相手の立場や気持ちを考えたうえで、その結果ワガママに行動できること。
それが時には相手を不快に感じさせたり、相手から非難されるかもしれません。
だけど、そうした結果も責任も受け入れたうえでワガママでいること。
これが、自分も自由に生きることができるし、周りにもポジティブな作用があると思います。
なぜ「周りにもポジティブな作用」と言い切れるかというと、あなたのワガママの繰り返しが「不快・避難」する人たちと縁が切れていくからです。
そうすることで、あたな自身のワガママを具体化した現実が目の前に現れはじめるんですよね。
これが、起きている現実は全てあなたの考えや価値観を反映していると言われる所以だと思います。
もし今の現実に違和感あるのであれば・・自分のワガママを大事にしてみる
なので、もしあなたが今の仕事や生活含めた人生そのものに不満や悩みがあるのであれば、他人や環境のセイにしたくなる気持ちは共感できるのですが、実は全てあなたが作り出しているということですね。
社会人たるもの他責ではなく自責で考えるべき、なんて思っていたことも昔はあったのですが、私はこのことに気づいた時にそんな自責で考えるべきとかそんな次元ではなく
片渕
と感じました。
そう考えると今回のテーマとした子どもの教育やしつけを考えたとき、どうやって親である自分が子どもの前に対峙しコミュニケーションするの?って、育児の話なんですけど、自分自身の在り方が問われているんですよね。
なので自分の子どもにも、我慢よりはワガママや思いやりを大切にしていきたいです。
予測不能な未来にどんなことがあっても幸福感を感じながら生きて欲しいので、常に「自分の成長のため」というワガママを貫きつつ、一人の子どもという人間であることを思いやりながら、育児をしていきたいなと思っています。
ワガママと思いやりって、育児だけではなく、人を育てたり自分を育てることの基本ですからね。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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